赤甲羅な雑記

アニメ・マンガとかの記事を書く量産型無個性ブログです

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ふと見た夢のこと

久々の更新です。またちまちまと書いていこうかなと思います。

 

それでまあリハビリがてらにちょっと今日見た夢のことでも書こうかと。少しだけ書いて残しておきたいなと思ったので。

いうてさほど面白おかしく書けるわけじゃないんですけどね。ていうか僕はあんまり見た夢の内容って覚えてないんですよね。重要なことだけは感触として残っているけども、その具体的な内容はそのものは忘れているってのがいつもです。夢自体あんまり見ないタイプなのでそういうことを覚えておくことに慣れていないのかもしれません。

 

まあそれで前置きはともかく夢の内容っていうのは、なんか自分が好きな人が結婚しちゃったみたいな話だったんですよね。今でもそれなりに交流があって僕が踏み出せずにいるって言う感じの状況なんですけど、それが災いしたのかなんなのかわからないけども、とりあえずこんな感じの夢を見ました。

それで夢を見ている僕はとりあえずすげーショックを受けるわけです。まあ夢なんで現実じゃないんですけど夢だと認識してない夢ってすげー怖いもんで現実のことだと認識しちゃうんですよねー、あんまり見たことがなかったのでそりゃもうめっちゃショックでした。

まあそんなショックをうけるわけですが次に考えるのはなんでこうなったかを考えるわけで、「ああ俺じゃ駄目だったんだな」とか「あの時こうしてればな」とかそんなことを考えるわけです。で、そんなことを思っていたら目が覚めました。多分相当な悪夢だったんでしょうね。起きた時にクソッタレって口に出していた気がします。

 

言ってしまえばなんでもないですし、正直落ちもクソもない夢だったんですけど、夢で見てふと思ったんですよね、こうはなりたくはないなって。

こうはなりたくないのであれば、どうすればいいか?って思うとやっぱちゃんと行動することが大事なんですよね。当たり前なんですけども意外と自分ってそういうところ出来てない所あるのでやっぱそういう所はきちんとしていくべきなんだと思います。

ですけどフツーに考えたらちゃんと行動するのが筋じゃないですか。こんなくだらない恋愛に限らず何事にもやるべき筋ってありますし。でもなんで現実の僕はこういうことができてないんだろうなって思うとやっぱ想像力が足りてないっていうことなんだと思います。何かの目的だったり行きたくない結末だったり、そういうことに対する意識そのものが欠けているんでしょうね。

今回見た夢は正直いってしまえば最悪と言ってくらいの悪夢だったんですがその想像を補う…という意味においてはかなり良い夢のようにも思えます。

 

まあそんなこんなで夢の話でした。きちんと目標だったり結末を見据えて、それに向かってやるべきことを為さんと最悪の結末を迎えるぞっていうのが教訓の夢でした。ハンター試験でも残酷な妄想に耐えるみたいな試験があったのでそれに似たような感じだと思います。試験は沈黙が正解でしたけど実際には正解など無い現実を選択していかねばならないっていうのは難しいところですね。正解がないのであれば、せめて自分が納得できるような答えにたどり着くように努力していきたいものです。

 

うーんなんだかまとまって無いようなそうでもにないような…まあええやろ?

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」が最高だったから感想

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正直言って最高でした。これは詳細を省いて結論だけ言うとそんな感じです。ぶっちゃけこれ以上の褒め言葉が無いですし、感想を語るのすら蛇足感あります。というか意味不明とか言われてる現状だと感想を語ると気違いっぽいのであんまり語りたくないってのもありますが。

 

まあそれはそれとして感想です。ちなみに僕は世代的にドラマ版は見てないです。あとネタバレは普通にしますので気になる人は見ないで下さい。僕としてもネタバレなく見てもらったほうがありがたいです。まだ見てない人へのアドバイスとするなら「君の名」はより新海誠監督の昔のアニメ映画が好きだったみたいな古参オタクは多分好きなんじゃないかと思います。逆を言うと君の名は is 最高みたいな若いパンピーみたいな人にはかなり向いてないと思います。まあ前評判でわかってることですね。

 

それでは本文です。個人的には最近見たアニメ映画の中でもダントツに面白い作品、というか「君の名は」より面白い映画でした。久々にジュブナイルモノで感動した気がします。あとシャフトアニメでマジで面白いと思ったのも久々かもしれません。まどマギ以来なんじゃないかと思います。

 

おそらく本作は「君の名は」のヒットを受けて作られた映画、いわゆる流行に乗って作られた映画です。そのせいか割りと粗があります。冒頭の自転車を引きの視点で3DCGで書いてるシーンとかあるんですが、これがかなり雑いムーブするんですよね。前評判が悪かったので正直冒頭はかなり心配…というより評判通りのクソ映画なんじゃないのかと思ったくらいです。

まあ気になったのはそれぐらいでそれ以外の部分は全部良かったです。演出上シャフト感は若干強いのは否めませんが、アニメの作画や背景は文句のつけようもなかったです。特にヒロインのなずなの可愛さに関しては尊すぎて言語力を無くしました。本当に中学生かこれ。あのミステリアスさヤバすぎ。これはガチ恋待ったなしですわ。それでいて親の前だと妙に子供っぽかったり年相応な一面もある。一見するとフィクションにありがちなキャラクター造形。しかし実際には精神的に成熟しきっていない中学生の心理をよく捉えているキャラクターで、こんな彼女が欲しかった!って思う人にはドストライクなんじゃないでしょうか。やっぱ二面性のあるキャラっていいですよね。

 

作画に関してはこんなもんであとはストーリーの話ですね(なずなの話ばっかしてた気もする)。巷ではわけの分からんと噂になってるのですが、昔のアニメ映画のほうが意味分からんアニメでいっぱいなので言うほどではないです。さっきぼくが昔のアニメ好きな人に向いてるとか言った気がしますが、それもこの辺に起因してます。

ストーリーとしては謎の球体…タイムリープやループものにおけるマクガフィン的サムシングがあって、それをヒロインが拾って主人公が使ってBADENDを回避するみたいな話です。なんかノベルゲーめいてますね。古参オタクが好きな要素満載です。もはや古参を通り越して老害オタクなのかもしれません。

それでBADENDを回避した後にはGOODENDもしくはTRUE ENDに到達するのがノベルゲーってもんですが、本作もこんな感じです。というかこういう作品に影響受けてゼロ年代当たりのノベルゲーなりタイムリープモノって出来てたんですかね。これはこれで原点を見る感じで面白かったです。

ストーリーの話に戻って最初はGOODENDに到達、次にTRUE ENDに到達というのがだいたいの筋です。この作品では一日の終わりに花火が打ち上がり、その形状でENDの良し悪しを見るというのが特徴です。ループの発生自体はどこでも起こりえますがどうも期限としてはこの花火が打ち上がるというシーンまでっぽいですね。まあゲームじゃないんで正確に決まってるわけではないと思います。

ストーリーとしても作品のテーマとしてもこの花火の一日というのは大きな核ですね。ループものとしては前述のとおりですし、なずなや典道が望んだ叶わぬ一瞬の体現、花火というモチーフもこの一瞬や刹那的なモノの尊さや美しさを暗示しているようにも思います。恋とか瞬間芸術に共通する刹那的なモノに対する憧憬ってやつですね。アイアムジャパニーズだからこういうの大好きです。

またもう一つのテーマとしてはやはり可能性でしょうか。可能性の獣である淫夢くんが…ではなく、可能性があればいいんだ!バナァージ!でもなく、可能性というのは本作の大きなテーマになっていると思います。あらゆる可能性が混在するループものでは割りとよく用いられて、ループによって人物や状況が浮き彫りになり物事の可能性を提示するっていうよくあるアレですね。本作も茂下町とか名前からしてド直球すぎだろこのネーミングとか思ったもんですが、可能性というテーマを明示するならこんくらいがいいかもしれません。

それで可能性ですが、あの謎の球体はやっぱり可能性の塊のような存在だったんだと自分では思います(願いを叶える球と作中では言及されていましたがそれは正確ではないと思います)。酔っ払った花火師がラストシーン間際で謎球体を打ち上げていた際にモブ達が様々な可能性を目にしていたことからもそれはなんとなく伺えました。

このお話はだれもが主人公に成りえた物語、あらゆる可能性があった。ラスト付近でForever friendsが流れたシーンではそんなことを暗示していたように思います。ただ、他の登場人物たちと主人公の典道が唯一異なっていたのは自らのその可能性を選び取るもしくは掴み取ることをしていなかったというのが違いだったと思います。可能性の欠片を彼だけ掴み取っていたことも印象的でした。花火というのも平面がいくつも重なってできていますしこれもまた可能性の暗示なのかもしれません。

それでラストシーンですがなんか典道くんどっか行ってましたね。おそらく掴み取った可能性を追っかけた気がするんですけど、実際にはどうなんでしょうか。可能性という物語のテーマ上、不確定な方が面白いですしいろんな解釈があってもいいと思うのですが、ハッピーエンド至上主義の僕としては彼が東京まで行ったという説を支持したいですね。

 

そんなこんなで感想でした。だいたい言いたいこと言い終わったのでもうこんなんでいいと思います。適当かましすぎた気がしますが、無駄に長くなったので終わりにします。これ以上書いても収集つかなくなる気がしますので。

それにしても誰かとこの映画を語りたい…周りに見てくれそうな人も語れそうな人もいなくて辛い…。

FGOに見るリアルタイム性について

 ロバート・ヘリックの詩を引用するのであれば、ここは「時のある間に薔薇を摘め」ということが教訓になるのかと思います。すいません嘘つきました。どうみてもエミヤアサシンの宝具名です。本当にすみません。

(ちなみに弊カルデアのエミアサは宝具4で聖杯ぶち込みのLV90のスキルマです。使ってる時はだいたいキリツグはとーってもつよいんだから!って言ってます。また赤茶の方もほぼ同じ育成度合いになってます)

 

それはそれとして、二周年おめでとうございます。FGOフェスの方はニコ生で結構見てたんですけどすごい盛り上がりですね。二日目で島崎信長くんが高校の文化祭ばりに「今日は…盛り上がっていこうぜええぇッ!」って言ってたのがスゴイ印象的で、はえーすっごいライブ感…って思いながら見てました。フェスってすごい。行ってたら絶対死ぬほど歓喜してたと思う。

しかしながらこのライブ感に浸るのもなにかしら麻薬のようなものではないのかとも思う今日この頃です。最初の方に書いたロバート・ヘリックの詩とかを引用したのもそんなことを思ったからで、「やっぱカルペディエムも大事だけどメメント・モリも大事だよなあ」とか考えていたわけです。(決してエミアサのことだけ考えていたわけじゃないのですよ?)

そんなことをぼけーっと頭のなかに浮かべながら、奈須きのこ氏のスパロボ関連のインタ記事が電ファミニコゲーマーさんに掲載されて、僕はちょっとそれを読んでいました。その記事の中身にですが「FGOではリアルタイム性を重視している」ということを記述した箇所があったんですよね。

フェスでの盛り上がりを見ても、あーやっぱりお客さんがそういうモノを求めているんだなーってのは思いましたし、提供側もかなりそういった要素を重視しているんだなというのはここでなんとなく汲み取れました。そもそものFGOの成り立ちからしてライブ感からここまで継続、このゲーム自体がライブ感の産物であるという事実も相まってこのゲームかなりライブライブしてんなというのもあります。言っちゃえばかなり行き当たりばったりです。まあぶっちゃけて言うと「そうだね、いつものきのこだね」ってことなんですけど。

といってもこの行き当たりばったり感が次に何をやらかしてくるかわからない期待にもつながるわけで、なにも悪いことばかりではないのも確かです。僕が言いたいのはリアルタイム性に溺れてそれだけが全てのように認識してしまうのはよくないことだ、ということであって全てを否定したいわけではないのです。

娯楽というのは基本的に一過性のものです。であればそこに資産や資本…この場合は時間なども含みますがそれを投入して得られるリターンというのも所詮は一過性です。投入する量が大量であってもそれは変わりません。

某SACでも娯楽というのはどんなものでも一過性でありまたそうあるべきである、てなことを言っていたようなような気がしますのでこれはこれで健全であるようにも思えますがやっぱり投入量は抑えておくべきです。一過性のものはあくまで一過性、そういう意識を常に念頭に置いておくべきなのです。なにが言いたいかって言うとみんな!ガチャは控えろよ!ってことですね。

 

まあリアルタイム性っても全てが悪じゃねーしそれがなきゃやってられんこともあるやろ〜っていうのが僕としての意見ですかね。なんだかまとまんないですけど最後に旧約聖書のコヘレトの言葉…伝道者またの名を魔術王ソロモンからの引用からでまとめたいと思います。

 さあ、喜んであなたのパンを食べ、しあわせな心でぶどう酒を飲め。

神はすでに、あなたがそうするのを喜んでおられるのだから。

いつも、真っ白な衣を着て、頭には香油を絶やすな’(伝道者の書9:7-8) 

 

ガンスリとかでもコヘレトの引用あったなあ…それにしてもソロモンって今を生きるの典型みたいなやつだな…生前は主への信仰も深かったろうけどロマンって言うだけあって受肉したあとは自分の著した本通りの常に浪漫を追い求める人物になったのかしら…

「異世界はスマートフォンと共に」がストレスフリーすぎてストレスフルな話

別に俺TUEEEが嫌いって話じゃないんだけど、見ていてすごく違和感があるアニメというのが第一印象です。よくいえば平凡、悪い言っちゃえば面白みに欠ける、テンプレ過ぎて面白いという感性もなくもない。ですがそれでも腑に落ちない何かがあります。

 

タイトルにも書いて在るんですがこのアニメ兎にも角にもストレスフリーなんですよね。ストレスフリーな作品ってのは別段嫌いじゃないですし、オタクはごちうさが大好きですのでストレスフリーなこと、それ自体にはなんにも問題はないんです。むしろそんなことより早くごちうさ3期やってくれって思う。こんなこと思ってたらのんのんびよりも早くしてほしいし、よつばと!の新刊も欲しくなってきた。日常系作品供給不足過ぎだろ。角川あたりはちゃんと仕事して欲しい。でもオタクがアイアムアボーンオブオタークっつってUnlimited Demand Worksしてるのでいつまでたっても供給不足が是正されないだけな気もする。

 

話がクソそれたんですけど、結局はこのアニメって突き詰めてしまえば「日常系」にカテゴライズされてしまうと思うんですよね。そうでもなくとも、作品の作り方というか読者層視聴者層に対する作品作りの仕方というのはまるっきり同じな感じがします。

当然、意見として「ここは二次元だ。三次元じゃない。見ていて不快なもんなんて誰が見るかよ」と思うのは至極当然です。まあ正直三次元でも色々なことから目をそらしているってのに、二次元で直視できる道理はないですね。

 

でも日常系もしくはそれらの「優しい世界」が何故許されるのかっていうのはそれが非常に限られた世界だからってのがあるんですよね。オタク的で閉鎖的で箱庭的な世界。言ってしまえば自分の周りだけの小さな問題を解決していき、その中で優しさに満ち溢れた世界。現実で言うところの家族愛に近い優しさを描いていて、それ故に許されるし見ていて安心感を覚える。

しかしながら、最近の作品…今回で言えばイセスマだったり所謂異世界チーレムと呼ばれる作品群ですけども、これらの作品はファンタジー世界であり、人が死んだり戦争があったり解明できない謎があったりなど、その世界においての大きな問題があります。これらの諸問題って言うのは個人の力なんていうのは無力ですし、仮に解決するのだとしてもなにがしかの痛みや苦しみだったり高い技能が求められます。

それでなにが問題かって話なんですけども、問題はこれを解決しちゃうんですよね。転生ボーナスとか転生特典とか色々ありますけど、そういったなんか最初から持ってるスゴイ力みたいなもので。

これのどこか歪なんだろうなって思うとまあぶっちゃけ言うまでもない感はありますけど、現実と似たような問題を扱っているのにも関わらずそれすらもファンタジーとしてしまっている、という所になるのかなと思います。現実の努力をある種踏みにじっていると言い換えても良いかもしれません。もちろん強力な力を持っていても多少の努力はしています。でも大事なのは力を入手した後のそこではなく弱者が強大な力を手に入れるまでの納得の行くプロセスが重要だと私は思います。少なくとも神様から与えられたじゃ僕は納得できません。

 

とまあ長々と書いたけどこんなもんでしょうか。僕がそれなりにはストレスフルになっていることがお分かりいただけたとは思います。あとなんだか書いてて疲れましたので適当に〆ました。ぶっちゃけ作品の文句ばっか垂れててもしょうがないし、小説家になろうのアニメ化作品ということで新時代の物語というのはこういうものだ、という風に自己認識を改めなければいけないのかなあとかも思ったりもしてます。

 

(でもなあ…某有能ジャンプ編集長とか友情・才能・勝利っつって努力ガン否定だし、でもそれでヒット飛ばしてるしこういうのがある種の正解なのかもなあ…大事なのはキャラとドラマ性(それと設定)らしいんだけど、これは単純にそういう要素が不足してるだけのような気もするんだよなあ…映像でのゴマカシもないからシナリオの粗も余計目立つしうーん…)

(まあこういうアニメが作れるってのはまだまだ業界元気だなとも思うし、多分円盤とかは爆死するだろうけど、最近は制作費回収が多様化してるしなんとかなるんじゃねーかとも思ったり、なにが言いたいかって言うとイセスマも割りと捨てたもんじゃねーなってこと)

虐殺器官を再読した話でクラヴィスと伊藤計劃氏は似てるなと思ったこと

BD&DVD発売決定だそうですね。映画ぶっちゃけ最高だったんで早いところ発売してほしいものです。

 

そんなわけで3回くらい読み返した気がするんですが、内容がやっとのことわかりかけてきました。正直言って最初読んだときとかなんじゃこのオチはー!とか思ってたりもしたんですが、映画も見て読み返しもして内容がやっとこさ嚙み砕けてきたといったところです。自分の読解力がなさに死にたくなりますね。

それで再読して一番思ったことなんですが、クラヴィス・シェパードというやつはなんと不謹慎なやつなんだ、ということです。本書は読んだことのある人ならわかると思うんですが、これは主人公であるクラヴィス・シェパードの一人称で進むお話です。だいたいはモノローグです。モノローグなんですが、こいつときたら周りは真剣に特殊任務に取り組んでいるのに僕のお母さんがどうのこうのだのっていつも感傷に浸っているし(まあ彼にとっては任務はゲーム感覚だったしうーん)、スパイとして潜入してる時は考えなくてもいいルツィアの裏事情を心中で垂れ流し取るし(ファムファタールだししゃーない気もする)、挙句の果てには割と危機的状況でなのに同僚の肩が吹っ飛んでいるのにちょっと面白いwwwとかのたまっています(これもゲーム感覚だったから?)。正直言ってなんだこいつ…って感じです。テイルズ風に言うなら理解できん…こやつ消えよ!って感じかもしれません。ネットではマザコンとはよく言われていますが、正直もっとおぞましいなんかなんじゃなかろうかって思ったのが僕の思うところです。

しかしながら伊藤計劃氏の性格を考えると彼というキャラもあながち不思議ではないような気もしました。評論集とかあんまし見ていないのでそこまで確証を持って言えるわけではないのですが、彼は真面目でありながらもかなり人を食った人物というのをよく目にします。実際、その手のエピソードには割と事欠かなく、死者の帝国で自分がマジで死にそうなのに「僕はそろそろ死にそうだけど次に書く話は死人が動く話なんだHAHAHA」とか言ってる時点でどういう人物かは割とお察しです(なんかのインタで円城氏も計劃さんは変わった人とか言ってた気がする)。虐殺器官でもジョンポールに好きとか嫌いとか~でときメモネタをあんなシーンにブッこんできたり、その他のパロディの仕方をみてもかなり人をおちょくったようなやり方だったりします。

そうみるとクラヴィスシェパードというのはある種、計劃自身を投影した姿だったのかなと思います。徹底的にシリアスを突き詰めながらもどこか喜劇的でシュールでないと気が済まないという性格、とでも言えばいいのでしょうか。おそらくですが徹底的過ぎるが故の反動みたいなもんな気がします。そもそもにしたって今では夭折の作家と持てはやされている伊藤氏だって元々は一介のMGSオタクでしかないし、クラヴィスも特殊部隊の隊員っても私生活は友達と家でピザ食ってビール飲んでるだけですし両者のボンクラ度合いにも大した違いがなかったりもします。

伊藤氏がボンクラとしてクラヴィスをデザインしてるのは自分に似たキャラクターだからなのかもしれんなあ…と思うと自分としてはクラヴィスを理解できたり理解できなかったり。クラヴィスは大噓つきとも言っているのでもしかしたら伊藤氏も大変な嘘つきなのかもしれません。

 

それはそうと虐殺器官のエピローグの嘘なんですが、映画版ってこれのアンサーとかなんじゃないでしょうか。「実はクラヴィスが延々と考えてた死者の国とかは全部嘘でした」みたいな、それであの辺の描写がまるっとカットされてるとか。アンサーの仕方としてはちょっと無茶があるかもしれませんが映画としてはまとまりがいいし、これってなかなか良い考えなんじゃないでしょーか???。んなわけねーだろバーカ文盲乙って言われるかもしれませんがこう考えてると中々楽しいので僕としてはこの線を推していきたいと思います。どうせ藪の中だし信じたものが正解です。人は見たいものしか見ないのです。それで平和が保たれるのです。

 

そんなわけでおわり。あととりあえず色々と本読まなきゃなあとは思いました丸。フーコーとかチョムスキー読んだ方がいいのかな…言語のアレコレ気になるし。でもああいう本ってたけえんだよなあ…うーん悩ましい。図書館とか使うか。

アニマックスでブラック★ロックシューターを再視聴した話

大して考えてはいないです。

 

最近アニマックスで再放送していたんですけどこのアニメ今見るとすげー村上春樹チックなアニメですね。放送当時から少女たちのメタファーとしてBRS達が戦っているってのは認識していて、すげー面白いなって思っていたんですけど再視聴して思ったのはこれまんま村上春樹的手法じゃねーかってことです。

 

まあそもそも、こういうメタ的世界と現実世界の境界が曖昧なアニメって割りと多いんですけどね。最近だと神山健治監督の「ひるね姫」とかでしょうか。古いアニメだったりすると今敏監督作品とか、今をときめく新海誠監督作品とかですね。変わり種で灰羽連盟とかもあるかもしれません。

 

ブラック★ロックシューターもこれら名作アニメの原典を踏襲しつつ、それでいて深夜アニメの文法であるバトル要素だったり時代を先取りした今流行りのクソレズ(ヤンレズ?)要素を内包というより組み合わせており、今から見てもこれって結構斬新だなーって思います。ヤンレズとかまどマギなかったら絶対流行ってなかった気がする。

ただ惜しむらくは高尚というかこの手の作品に対する文法を当時のターゲットメイン層であるニコニコ動画の方々が認識してなかったんじゃないかなーと思います。そもそもアニメファンも結構なオタクでもないとこういうメタ要素を知らない(というかそこまで興味を持っていない?)ですし、作品としては面白くとも完全にターゲット層に対してアニメの内容がミスマッチしているんですよね。当時からわけわからんって感想も目立っていたし、この手の作品に対してのそもそも免疫不足だったorあまり触れたことがなかったというのがこういう感想が散見される原因だったんじゃないのかなーって今だと思います。

 

そんなわけで割りと低評価が目立っているBRSですが、アニマックスで再放送されるくらいですし内容的にはめちゃくちゃ面白いです。さっきも書いたんですがクソレズ要素は今でもトレンドですのでつまり時代を先取りしたアニメでもあるので古臭さはあんまり感じないと思います。

あとメタ的世界の描写は今石監督のグレンラガンばりのゴリゴリアクションですのでBS11の再放送で興味持った方いたら見てみると良いかもしれません。

 

思ったよりも長くなったし、普通に内容勧めてしまったけどまあこんな感じです。はい。

「君の名は。」を見て、新海誠の初恋へのこだわりとその否定

新海誠という監督は「初恋」にこだわりのある監督だなあ、と僕は思う。この点で言えば代表作である「秒速5センチメートル」が良い好例だろう。なにしろ初恋に十年近く囚われ続ける話だ、こんな話が描けるのにこだわりがないわけがない。「ほしのこえ」、「雲のむこう、約束の場所」など他の作品でもそれはピックアップされていてこの点に関して言えばどの作品もそれは共通してる要素に思う。

それならば最新作たる「君の名は。」も当然のように初恋の話じゃないか、と思ったがよくよく考えてみると奥寺先輩との恋愛があるではないかと、僕は気づいた。まあ時系列的に考えれば瀧くんが中学の頃にもう三葉とは出会っているわけだからそういう点では少し弱いかもしれないが、その点はいい。運命はその頃に結ばれていたとしても、瀧くん自体の初恋は奥寺先輩なのはほぼ確実であろう。

問題はこの初恋の劇中での扱いである。いい加減といえばそうでもなく、かといって突っ込んでいるかといえばそうでもない。従来作ではあれほど拘っていた要素にもかかわらずだ。

無意識的なものかもしれないが、それであるならば僕はこれはとんでもない成長だと思う。何しろ今まであれほどまでに拘ってきた要素を惜しげもなく捨てているのだ。これが成長でなくてなんというんだろう。

そしてこの初恋の顛末といえば、「きみもいつか幸せになりなよ」と奥寺先輩が言い、この初恋は幕を閉じる。僕はこの流れを見て思ったのが「秒速5センチメートル」での明里のことを思い出した。秒速は全編を通して初恋(と彼らの距離)を巡るお話だ。このお話の結末は「あなたは大丈夫」という明里の言葉(とタカキ自身の手紙)によって10年越しの初恋に終止符が打たれるお話だ。

両者に共通する点としては、相手からの信頼がある上で別れを告げられる、という点にあると思う。まあ初恋としてはかなり上々な終わり方なのでは無いのかと思うし、実際秒速ではそれが主軸に据えられてオチに感動した覚えがあるのでこれ自体は良いものなのだろう。(それはそうと奥寺先輩、司と付き合って結婚したとかNTRってレベルじゃねえぞ内定自慢もしとるし瀧くんの心境的に可哀想すぎだろやはりノッブは悪い文明)

そう思うと、「君の名は。」と言うものは「秒速5センチメートル」の先を描いているといっても良いような気もする。何しろ初恋の終わりの後に運命の出会いが待ち受けているのである。これは秒速5センチメートルでは描かれなかった先の未来といっても過言ではないし、それどころか新海氏の今までの作品では見られなかった光景だ。

 

私見だが、今までの新海氏には初恋=運命というような固定観念があったようにも思う。従来作ではいかにそれを乗り越えようかと腐心していたようにも思えるが、本作では完全に別個に分けて考えられている。私はここに新海氏の新境地があり、川村氏が小説版のあとがきで書いていたような「新海誠の最高傑作」というのが成立した理由なのではないかと思う。ラストの階段のすれ違うシーンなど、秒速を明らかに意識しているがそれとは全く異なる終わり方を示しており、本作が従来作の焼き増しなどではない真の新作であることが最もよく表されていると思う。

 

長くなったが、話のオチとしては表題通り、「君の名は。」は新海誠にとっての初恋の否定、または運命と初恋の分離というのが筆者としての意見だ。長々となったが一行で書けば割としょーもないことである。こんなに長く書く必要あったんだろうか。

実際この考察が当たっているかもわからないし、書いてる自分もなんかおかしくねえかって思いつつ書いてるのでそこはご愛嬌、だいたい考察なんてほとんどがそれっぽいだけで大概のものは的はずれである。世の中、ナントカ考察本とか溢れてるけどアレで予想したことが当たったためしって在るんだろうか(1割位は当たってる気がしないでもないが)。

 

まあなにはともあれ、「君の名は。」は7月26日にはBD&DVDがリリースされる運びとなっている。これから作品を再視聴する人も多いだろうし、そう思って適当な考察記事でも書いておけば(特に意味もないけど)アクセス稼げねーかなと思いながら本記事を書いている。読んでくれた人に少しでも刺激になってくれれば幸いである。

 

(それはそうと最近ブギーポップにハマってるんですけど完全に文体に影響出てますね。こんな文章書く予定ではなかったんだけどなんでこうなったんだろう…)

(まあいいじゃん。とはいわないからな)