赤甲羅な雑記

アニメ・マンガとかの記事を書く量産型無個性ブログです

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FGOに見るリアルタイム性について

 ロバート・ヘリックの詩を引用するのであれば、ここは「時のある間に薔薇を摘め」ということが教訓になるのかと思います。すいません嘘つきました。どうみてもエミヤアサシンの宝具名です。本当にすみません。

(ちなみに弊カルデアのエミアサは宝具4で聖杯ぶち込みのLV90のスキルマです。使ってる時はだいたいキリツグはとーってもつよいんだから!って言ってます。また赤茶の方もほぼ同じ育成度合いになってます)

 

それはそれとして、二周年おめでとうございます。FGOフェスの方はニコ生で結構見てたんですけどすごい盛り上がりですね。二日目で島崎信長くんが高校の文化祭ばりに「今日は…盛り上がっていこうぜええぇッ!」って言ってたのがスゴイ印象的で、はえーすっごいライブ感…って思いながら見てました。フェスってすごい。行ってたら絶対死ぬほど歓喜してたと思う。

しかしながらこのライブ感に浸るのもなにかしら麻薬のようなものではないのかとも思う今日この頃です。最初の方に書いたロバート・ヘリックの詩とかを引用したのもそんなことを思ったからで、「やっぱカルペディエムも大事だけどメメント・モリも大事だよなあ」とか考えていたわけです。(決してエミアサのことだけ考えていたわけじゃないのですよ?)

そんなことをぼけーっと頭のなかに浮かべながら、奈須きのこ氏のスパロボ関連のインタ記事が電ファミニコゲーマーさんに掲載されて、僕はちょっとそれを読んでいました。その記事の中身にですが「FGOではリアルタイム性を重視している」ということを記述した箇所があったんですよね。

フェスでの盛り上がりを見ても、あーやっぱりお客さんがそういうモノを求めているんだなーってのは思いましたし、提供側もかなりそういった要素を重視しているんだなというのはここでなんとなく汲み取れました。そもそものFGOの成り立ちからしてライブ感からここまで継続、このゲーム自体がライブ感の産物であるという事実も相まってこのゲームかなりライブライブしてんなというのもあります。言っちゃえばかなり行き当たりばったりです。まあぶっちゃけて言うと「そうだね、いつものきのこだね」ってことなんですけど。

といってもこの行き当たりばったり感が次に何をやらかしてくるかわからない期待にもつながるわけで、なにも悪いことばかりではないのも確かです。僕が言いたいのはリアルタイム性に溺れてそれだけが全てのように認識してしまうのはよくないことだ、ということであって全てを否定したいわけではないのです。

娯楽というのは基本的に一過性のものです。であればそこに資産や資本…この場合は時間なども含みますがそれを投入して得られるリターンというのも所詮は一過性です。投入する量が大量であってもそれは変わりません。

某SACでも娯楽というのはどんなものでも一過性でありまたそうあるべきである、てなことを言っていたようなような気がしますのでこれはこれで健全であるようにも思えますがやっぱり投入量は抑えておくべきです。一過性のものはあくまで一過性、そういう意識を常に念頭に置いておくべきなのです。なにが言いたいかって言うとみんな!ガチャは控えろよ!ってことですね。

 

まあリアルタイム性っても全てが悪じゃねーしそれがなきゃやってられんこともあるやろ〜っていうのが僕としての意見ですかね。なんだかまとまんないですけど最後に旧約聖書のコヘレトの言葉…伝道者またの名を魔術王ソロモンからの引用からでまとめたいと思います。

 さあ、喜んであなたのパンを食べ、しあわせな心でぶどう酒を飲め。

神はすでに、あなたがそうするのを喜んでおられるのだから。

いつも、真っ白な衣を着て、頭には香油を絶やすな’(伝道者の書9:7-8) 

 

ガンスリとかでもコヘレトの引用あったなあ…それにしてもソロモンって今を生きるの典型みたいなやつだな…生前は主への信仰も深かったろうけどロマンって言うだけあって受肉したあとは自分の著した本通りの常に浪漫を追い求める人物になったのかしら…