ちーさまはFUCKIN' YESかわいい
可愛いは正義であると昔の偉い人は言いました。しかし正義というのは人によって在り様が様々です。つまりそれは可愛さも人によって在り方が様々であるということです。
そして正義というものはもっぱらフィクションにおいては主人公つまりヒーローが持つ属性です。それはアンチヒーローもまたしかりで同様の正義の要素を持ちます。この辺は海外のアンチヒーロー分類とかが面白いですね。まあつまるところ正義というのは描き方によって如何様にもなるものであり一般的なカタチや概念はもちろん存在していますがそれは一つの側面でしかないということですね。
ここで可愛い=正義であるならばつまり可愛さというモノにも同様の事柄が適合できるでしょう。ここで可愛さも共通認識を持つものでありその在り方は様々であるということが証明されました。
まあなんでこんなこと言い出したかっていうと何に萌えを感じるかは人それぞれでかっこよさとかとそれは同じだよねってことが言いたかったわけです。俺がちーさま可愛いって言ったら友人にただのまーん腹パン女やんけとかディスられたからではないのです。決してそんなことはないのです。
正義が長い時をかけて多様化した様に萌え要素も多様化したのは周知でもあるのですがなかなかどうして近年のフィクションことアニメ作品においてはわかりやすいヒーロー像でないと叩かれるようにも思います。萌えキャラにもそれが適合されてるような感じを受けました。安易というか求められているヒーローもしくは萌えキャラ像からあまりにも乖離しすぎていると違和感を覚えるのはどちらにしても仕方のないことなのかもしれません。しかしながらそういったキャラクターでなければ描けない事柄や魅力というのは確実に存在しておりそれは安定を求めるための安易なディスによって否定されるべきではなく、物語の多様さといった面からではむしろ奨励されるべき事柄だと私は思っています。
まあ安定を求めるのは日本人らしい価値観であり、様式やテンプレートに沿った考え方が一般化してしまうのは仕方のないことかもしれませんし安易にイロモノにすればいいという話でもないのでやっぱりこの辺はさじかげんが難しいのかもしれませんね。
そんなこんなで結局まあ言いたかったことはクズ可愛いでもいいじゃない。ちーさまよっしゃキタオラFUCKIN' YES可愛いという題名同様の結論に帰結するわけです。烏丸千歳ちゃんやっぱいいよね。