言葉というものの面白さと怖さについて雑感(舟を編むについて)
ノイタミナでやってる「舟を編む」面白いですね。最初は題名通りに船を造る人のお話なのかなって思ってましたがどうも辞書を作るお話みたいですね。主人公は言葉に関して強い感性の持つ馬締光也くん、ひょんなことから辞書編集部に異動となって定年となる荒木公平さんの代わりに新時代の道標となる辞書「大渡海」を編集するというような感じのお話でした。元々は小説が原作とのことですが自分が無知ながらアニメを見るまで存在を知りもしませんでした。もっとアンテナを高く張る努力をしたいと思います。
さて、そもそも自分が興味を持ったのがこの作品が「言葉」をテーマにしているからですね。ぶっちゃけこの作品で一番笑えると個人的に思っているのがCV櫻井孝宏の存在で、舟を編むの馬締光也くんがあれほど劇中で真摯な姿勢、時には溺れるほどに「言葉」について向き合っているというのにCMに入って虐殺器官のジョン・ポールになるとその「言葉」を使って大量虐殺をしているというのだからもう大爆笑モノでした。正直キャスティング狙っているんじゃないかと疑うレベルです。
まあそんなこんなを思ってみるとやはり言葉というのは非常に二面性が強いものでもあるのかもしれません。人間という生き物は基本的に言葉に動かされるものでもあり言葉を動かすものでもあります。この辺から言葉というものが意識しづらいですが本質的には「力」のようなものを持っていることが伺えます。
雑感ですが舟を編むにおいては力であるのならどのように取り扱っていくべきなのかという様なことを感じました。大渡海のテーマである言葉の海を渡るための辞書というところからこれはおそらく作品全体のテーマでもあるのでしょう勝手な私見ですが。
しかしながら同じノイタミナでありながら言葉の持つ力を存分にかつ暴力的に奮っている虐殺器官くんが同時期にCMされるとどうにもこうにもシュール過ぎて笑いを堪えられません。いやもうマジで。
それは置いといてもやはり虐殺器官で明示された様な言葉の持つ恐ろしさは舟を編むでは溺れるというような割りとソフトでメタ的な表現になっていましたが人為的に言葉を操作すれば例えば海に濁流を起こしたりなど人を殺してしまうもしくは殺すことのできるものであるように感じました。本来は海のように大きすぎるためになかなか本質が見えづらく、泳ぎ方または扱い方を知らねば飲まれるモノというのが船を編むですが人為的に操作すれば人を安々と殺すものでもあるというのが虐殺器官といったところでしょうか。
我々は普段意識せずにほとんど言葉を使用しており様々な使い方や歴史的な由来に面白みを感じますがそれそのものが持つ力の側面にももう少し気を使うべきなのかもしれませんね。
追記
あと他にもなんですが心が叫びたがっているんだ等でのチノすけ…ではなく成瀬順の言葉に関するアレコレ、サイコパス2でも雑賀譲二先生の言葉に関するアレコレがあったようにも思えます。もしかしたらノイタミナ作品だと取り上げられやすいテーマもしくは特に注目しているテーマなのかもしれません。ちなみに今僕はジョージ・オーウェルの1984年を読んでいます。
(あとがきと書いた感想とか)
あんまりうまく文章を書けた気がしません。構成力をもっとつけたいですね。